業務改善してみました₋~アクリル棒編~
初めまして!!こんにちは!!
オーミック電子でお世話になっております日本大学のIです。
今回の記事を担当させていただきます。
さて今回、制作にするにあたって何か効率良く改良してほしいと言われたため頑張って改良してみました。同じ悩みをお持ちの方の助けになれば良いと思い記事を書かせていただきます。
今回改良したのはアクリル棒の切断です。使用用途は写真1にあるようにLEDの光を通す導光体として使用しております。今まではニッパーでカットした後にやすりで磨いて断面を綺麗にして使用しておりましたが、これでは1個だけならまあ良いものの大量に作るとなると手間暇がかかってしまっていました。そこで、早く、美しく切断する方法を考えていきました。
初めは、金太郎飴のように切れれば高速で生産することができると考えてましたが…
まあ、そんな簡単に行く訳もなく…
インターネットで調べた結果、アクリルパイプの記事ばかりでアクリル棒の記事が少なかったですが、なんとか探すと溝をつけると綺麗に切れるらしいということで「溝を作って切る」ということに焦点をおいて改善していきました。
ステップ1
アクリル棒を手で回しながら溝を深くしていき切る
→綺麗に切れたが、手間がかかるし力加減を間違えると今までと同じように切ってしまう。
とりあえず「溝を作って切る」は正解?
じゃあ、機械の力を借りよう!
ステップ2
ボール盤を使って切る
→ニッパーだけでなく色々な刃物(カッター、Pカッター等)試したがアクリル棒がやわらかいのと、回す力が強く安定しないため×
回す力を弱くできないか?
ステップ3
電動ドリルで刃物を当ててアクリル棒を回す
→うまくいった!かのように思えたが、切断面の片側はきれいだが、もう一方がコマ状?円錐状?になっている。原因は何か…、ニッパーの形状がV字になっているため円錐状になっているのでは?
ニッパーがV字になっていることを示す写真
というわけで、他の刃物も試してみました
ハサミ→刃の形状が/でまっすぐ切れない
ノコギリ→まあまあうまくいくけど太い
細くて刃がまっすぐな刃物…
→カッター?
ステップ4
カッターを万力で固定して、電動ドリルでアクリル棒を回す
ステップ3で溝をつけてる時に途中で切ってしまった時もきれいだったので
溝を付けて切るでOKだと判断
というわけで溝がある程度ついたらニッパーでカット
おまけ
その都度長さを測って切るのもどうにかしたい、というわけで3Dプリンターでジグを作ってみました。一定の幅で溝をつけることができるので長さを測る必要もなくとても便利です。
最近作ったものとプラスチック問題
事務所が内装工事をやっているため隣室の丸太小屋が一時的な物置となっており身動きがとれなくなっているのでブログを連投します。
さて、毎回初めて丸太小屋に来ていただいたバイトの学生には3Dモデリングを教えて何かを作らせる実習をやっています。ありがたいことに学生が学生を呼んで新しい方が増えつつあるのですが、毎回3Dモデルのネタを探すのに苦労します。この前来ていただいた方には壊れていた灯油タンクのフタをデザインして頂きました。
ネジ山部分のらせん形状は少し難しいのでこちらの記事を参考に私が作りました。
ぴったりはまってくれました。
このように日常に落ちている課題を解決できる3Dプリンタですが、使っているフィラメントがなくなるとそれを巻いていたプラスチック製のスプールが残ります。これがかなり大きくてしっかりしているので毎回捨てるのも何だかなあと思いつつ捨てていました。バイトの学生に話を振ってみたらこんなものを作ってくれました。
大量に購入した9V電池の空ケースと組み合わせた部品整理用の収納BOXです。プロジェクト毎に発生する小さい部品をまとめておくのに重宝します。
また、ある案件で検証用に使うであろう重機用のハンドルを模したシミュレーターを作りたかったので、スプールとその他部品を組み合わせて作ってみました。回り具合もなかなか良い感じで加速度センサをつけてデータを取得してみたいと思います。
廃材となるスプールですが工夫をすれば色んな用途で使えそうです。最近はプラスチックが悪者扱いされる傾向にあるのでなおさらこのような取り組みが重要視されそうです。次はスプールを使って何を作ろうかと考えていたら最新のフィラメントのスプールが紙製になっていました。
梱包箱も安くあげていることから考えると紙製スプールに変更したのはリサイクル材を使っているというアピールよりも実際にそちらの方が安く上がるからということかもしれません。数少ない手持ちのプラスチック製スプールを大事に使いたいと思います。
2021年度末です
年度末です。
毎年忙しくなる時期ではあるのですが、今年は注文数量の多い案件が固まってしまい組み立て・製造で例年になく忙しい状況でした。増強した組み立てメンバーの方々が期待する以上の働きを見せてくれたおかげでなんとか無事に出荷することができました。
↑こちらは昨年6月頃にオーダー頂いた無線式センサー&回転灯のセット。部品不足やら無線モジュールのアップデート、金型設計などに時間がかかりましたがようやく今月末にすべて製造が完了しました。長かった。。。ご協力頂いた関係各位の皆様に感謝です。
↑こちらは建機向けの稼働時間をモニターする新製品の一部部品です。こちらも3月末の納品予定となっており大変でしたが何とか組み立て完了し出荷の目途がたちました。
上記2案件が完了すると息つく暇もなく事務所の改修工事が始まってしまいました。
床と壁がボロになってきていたのでキレイにしていきます。
壁は白色、床はうっすらとした木目模様です。部屋全体が明るくなるなあ。
3/16に発生した地震によって一部コンクリートにひび割れが発生していることもありこの際一気に直してもらいます。
地震は怖い。ちょうど1年前にも同じくらい強い地震があったので慣れたような気になっていましたがやはり怖いし、今でも続く余震には体が変に反応してしまいます。いとも簡単にモノが壊される現実をみてしまうと、なるべく身軽にしてモノを増やしすぎないようにしないといけないと思ったり、逆にモノを作っている側としては拠点をいくつか持ってどこかで何かがあっても簡単には潰れないようにしなければいけないと考えてしまいました。
いずれにしても来月からの新年度は新しい事務所、新しいメンバーのもと新体制で新製品を展開できるように頑張っていきたいと思います。
引くデザインができる若者たち
昨年から製造が忙しくなり会津大学から2名、今年からは地元郡山の日大から2名学生に来ていただきパートタイムで働いて頂いています。組み立てや半田付けだけでは面白くないので、時々3Dモデリング&プリンティングの仕事を振ったりしています。そんな彼らの作ったものをいくつか紹介します。
こちらは会津大のI君が作ったハンガーホルダー。初めはハンガーをそのまま棚に引っかけていたのですがよく落ちるので、なんか作れと指示したらこれを作りました。とてもシンプルに見えます。どうやってハンガーを保持しているかというと、、、
てっぺんに穴が開いています。 ほう!そうきたか。
続いて日大のT君に指示したのははんだごてのふき取り部分の改善です。
こちらは付属の金属たわしみたいなハンダふき取り部分なのですが、あまりコテがきれいにならないのでスポンジを使ったものにしてくれと指示しました。
こちらが彼の作った台です。
スポンジが沈んでいくのでスペースを無駄にしないことに加え角度がついているのでコテのふき取り作業がやりやすくなっています。
二人に共通しているのは形状を足すのではなく引いているところです。以下は私が予想していたデザインです。
ハンガーホルダーであれば当然ハンガーを引っかけるフックを作ることを考えますがI君は既存の発想にとらわれず逆の考え方でとてもシンプルなハンガーホルダーを作りました。T君にしてもスポンジを保持する囲いを足すことをふつうは考えそうですがスペースを有効活用することを優先し逆に引くデザインを選択しました。ふつうは足し算ができてから引き算ができるはずなのですが彼らを見ていると初めから引き算ができているように見えます。昨今はやりの断捨離やミニマリストの思想と関連づけるつもりはないのですが単純にすごいなと思いました。実際に製造の観点からみてもプリント時間の短縮といった利点があるし、使う側からしてもシンプルな形状であったり機能的に優れている部分があるので足すデザインよりも優秀であることが多いのではないかと思います。若者に仕事を依頼すると想定外(良くも悪くも?)のものを作ってくれることがあるのでこれからもどしどし振っていこうと思います。
「ふつう」なデザイン
年始に工業デザイナーの深澤直人さんのインタビュー記事を読んだ。
「デザインをする」というといかに今までのものと違うもの、独自色のあるものを作るかという風に考えがちだが、深澤さんの場合はふつうなもの、定番となるもの、日常に溶け込むものというような思想でデザインをされているそうだ。実際にお客さんからもふつうなデザインを求められているようで、今までのデザインをさらなるふつう(スーパーノーマルというらしい)にするために細かいデザインの変更をするそうだ。日常に溶け込むもの、なんとなく使い勝手が良いがそれを意識することはないという点ではサンテグジュペリの道具論とも通じるものがあり、ひとつの指針となる設計の考え方だと思う。
以上は使い手側の視点だが作り手側としてもなんらかのふつうなデザインがあるように思う。例えば基板設計でいうと定番の部品を選ぶことで昨今話題の電子部品不足の状況に耐えやすくし向こう10年、20年は同じ設計でいける息の長い製品にできるかもしれない。筐体の設計でいうと組み立てる人が組み立てやすくだれでもきれいに作れるように設計するなどのことが考えられる。当たり前のことではあるが、作り手側・使い手側双方にやさしい「ふつう」のデザインを心掛けていきたい。
2021年振り返り
2021年12月24日クリスマスイブ。ようやく文章を書く時間と心の余裕ができたので今年一年を振り返ろうと思う。
プリント基板製造(回路設計)
昨年の振り返り記事で書いた今年のテーマの一つ回路設計、プリント基板設計については新規案件とともにやらざるを得ない状況となり、1月からの基板発注回数を数えてみると38回となっていた。これは昨年の2回と比較して大幅に伸びており基板製造の技法というか芸風が板について来たということが言える。加えて今年からは試作用の基板だけでなく量産用の基板をいかにつくるかということが大きなテーマであり、解決法はズバリ可能な限り部品を実装するところまで製造依頼し自社での実装作業を少なくするという方法である。幸い基板製造業者が小ロットの部品実装(SMT)に対応しており、受動部品(抵抗やらキャパシタ)や汎用のIC、トランジスタなどを実装した状態で基板を製造してくれるので大変ありがたかった。設計に際してはこちらの記事に大変お世話になった。
金型製造(メカ設計)
今年製造した金型についても数えてみると案件ごとに下記のようになった。
①鉄道向けセンサー用 3型(ケース、カバー、防振ゴム):1月に発注
②特殊車両向け無線式センサー 2型(ケース、カバー): 10月、11月に発注
③建機向け稼働時間モニターデバイス 3型(ケース、カバー、防水パッキン):12月発注
全部で8型も作ったのか。金型を作るということは量産が決まったということで新規案件を量産に乗せたという意味において小メーカーとしてはがんばった方ではないだろうか。依頼している金型屋が今年の新規発注分については金型セットアップ料金を永久免除するというキャンペーンをやっていたことからもここ数年の日本全体の新規金型製造の案件数は芳しくなかったのかもしれない。そんな中、丸太小屋においては各案件で新しい試みをした。①では基本モデルは今までの実績のある形状を踏襲しながらも新たにOリングを使った防水構造を採用した。(型を起こした後にOリング構造のアイデアが出てきたため金型修正となったが幸い金型削り方向だったため大きな出費にはならなかった。)②では昨年までの3Dプリンタ品を金型品に設計し直すという作業を行いスライド構造になる面を少なくしたり3Dプリント品で採用していたインサートナットを廃止し全てタッピングネジで締結するなど原価低減を試みた。③では初めて外観にシボを入れるようにした。シボを入れるために側面の抜き勾配を通常よりも多くとる必要があり、やや設計に手間取ったが、シボを入れることにより後から塗装などしなくて良いので組み立て効率が上がるはずだ。またシリコンゴムによる防水設計にも初めてトライした。こちらの金型は来年1月に完成するので楽しみである。
組み立て人員増強
上記②案件の製造数量が昨年の3倍を超えてきたので、製造方法だけでなく製造人員を補強する必要が出てきた。幸いなことに知人のツテを使い会津大学から2人の学生が応援に来てくれることになった。初めの方こそこちらが指示を出し動いてもらっていたが、数週間もすると自ら効率の良い方法を考えて動いてくれたので彼らの推進力に逆にこちらが引っ張られていたような気がする。彼らのおかげで何とか予定の数量を納めることができ無事に一年を終えることができた。
支えになった本
10月後半から12月前半は組み立てラッシュで、途中別の新規案件の試作品作りなどもあり大変忙しくなっていた。気分転換に昼休みに読んでいたホンダジェットの本の中で設計主任の藤野さんがロッキードのケリー・ジョンソンに言及していて「機体のネジ一本に至るまで彼のGOサインがないと作れない」というようなことを言っていた。どんな大きなプロジェクトでも強烈なリーダーシップと権限と責任を持ったたった一人の人間がいて初めて効率的に前に進むという趣旨のことが書かれていた。興味を持ったのでケリー・ジョンソンと彼の後釜のベン・リッチの本を読んでみた。そこには50年代から80年代にかけての航空機設計者の栄光と苦悩の歴史が書かれており大変勇気づけられた。空軍に納めるため半年以上休みなしで一日12時間以上働いていたというような記載が随所にあり、当時の人たちも命を削って作っていたのだなと思うと自分たちがやっている組み立てはそこまで大変ではないと思うことができ幾分精神的に楽になった。
ちょうどベンリッチの本を読み始めていたとき、上記③案件でちょっとした問題があった。防水用のゴムパッキンの材料をお客さんがシリコンと指定してきていたのだがゴム屋に確認すると材料入庫状況が怪しいとのこと。シリコンを指定している理由は現場で発生する窒素酸化物により通常のゴムだと劣化してしまい、防水機能が低下してしまうということだった。どうしようかと頭の片隅に置いておいたのだが、ある昼休みに読んでいたベン・リッチの本の中に関連する記述を見つけてしまい飛び上がってしまった。以下、引用する。
しかし、しばらくして不思議な現象が発生し、深刻な事態となった。整備員がエンジンバルブ類の内側にあるゴムシールの破損や、コクピットの与圧シールから圧力が漏れるのを発見したのだ。ゴム類が数週間で酸化して劣化してしまうのである。まったく原因がわからず、頭をひねるばかりだった。シールを取り替えても、数週間でまた漏れが始まる始末。
このミステリーの答えは、ある日、「ロサンゼルス・タイムズ」の第一面の中ほどを読んでいるときに見つかった。そこには、ヨーロッパの自動車タイヤがロサンゼルスの自動車には適さない理由が説明されていた。それによると、スモッグのためゴムが酸化し、パンクや異常な摩耗を引き起こすというのである。犯人はスモッグの主成分、窒素酸化物によって発生するオゾンだった。
アメリカのタイヤメーカーは、南カリフォルニアに出荷するタイヤに、酸化防止剤としてシリコンを添加していた。この記事を読んで、私は思わず椅子から飛び上がった。U-2の飛行する大気圏の最上層はオゾン濃度が高い領域である。
引用元:ステルス戦闘機 スカンクワークスの秘密 ベン・R・リッチ著
この記述を読んで私も飛び上がり、60年以上も前に同じ問題が別の場所で発生していることに何ともいえない嬉しさを感じ、やはりシリコンでシーリングしないとダメなのだと確信した。ほどなくして最終設計をゴム屋に渡した段階で再度問い合わせてみるとシリコンの硬さ違いのもので入庫が見込めるとのことで材料確保の問題は解決した。
部品不足の中で
製造業に携わる人であれば誰しもここ1,2年の部品不足、材料不足に頭を悩ませていることだろう。うちも例外ではなく電子部品のみならずプラスチック等の材料関係の部材確保に四苦八苦していた。新製品向けの設計も進める必要があったため部品選びには慎重になりつつも早く買わないとなくなってしまうという懸念からある種の博打的な購買をしていたこともあったように思う。毎日のように数十万から時には数百万規模の購買をしていると在庫があるうちに買い占めるという感覚が身についてしまい適切な価格を比較せずに買ってしまう事故が起きたこともあったので、来年は気をつけていきたい。ただし、このような状況であるからこそメーカーの姿勢が問われるわけで材料がないからと安易に「作れない」と言ったり「値段を上げる」と言ってしまうのは如何なものかと思う。本気で探せばなんとかなる方法はあるはずで、例えば電子部品がなければ代替部品を探して基板を設計変更したりすることで対応できることもあるだろう。来年もこの状況はしばらく続きそうなので、材料確保に目を光らせつつ柔軟な対応ができるようにしていきたい。
来年に向けて
今年はお客さんからの要望を何とか打ち返していくことで精いっぱいだったので、来年はもう少し余裕をもって新しいことを仕掛けていければと思う。幸い新製品を量産していく体制ができつつあるので、来年はそれをさらに安定させて次の製品を余裕を持って開発できる体制をつくりたい。まずは残りの数日を使って部屋を片付けようと思う。あ、そのまえに以下の3機を組み立てなければ!!
来年も何卒よろしくお願いいたします。
皆様良いお年を!!
福岡出張
先週末から出張のため福岡へ行っておりました。出張で本州から抜けることはあまりないのですが、今回はどうしても不具合対応で行かねばならず、せっかくなのでもう一つ別の打ち合わせの予定を組んで、さらに一日骨休みを設けて計4泊の旅程となりました。
7/11(日)の昼便で羽田を出発。2時間弱で福岡空港へ到着。
福岡空港から博多駅までは地下鉄で10分ほど。この近さは良いです。今回はこちらのホテルにお邪魔しました。
ホテルコンセプト | THE BASICS FUKUOKA ザ・ベーシックス福岡
駅近で新しいホテルだったので一泊目としては良いホテルでした。夕飯まで時間があったので駅周辺をぶらぶらしつつ、阪急百貨店に入りました。服屋さんで話かけてきたお兄さんのネームプレートを見て、ぐぬぬ!読めぬ。。
マスクをしていても分かる彫りの深い顔、ぎょろっと大きい目、濃いめのひげ。そうです、沖縄の人だったのでした。さすが博多、沖縄人の比率も高そう。
夕飯はデパート上のうなぎ屋さん。福岡県のパトロールカーが「9時までに店閉めろ!」と騒いでいたので早めに入店。大変おいしく頂きました。
次の日は鉄道関係のお客さんとの打ち合わせがあり、それなりに予想通りの形で着地し、すぐに次の目的地大牟田に出発しました。大牟田は福岡県の最南端でして、電車で行くと一度、佐賀県をまたぐことになります。駅に着くとそこはもう南国でした。汗だくでスーツケースを引き引き、清風荘という宿をGOOGLE地図で確かめつつ到着すると「お客さん、予約されてませんよ」とのこと。落ち着いて確かめてみると予約した宿はグランドホテル清風荘。着いた宿は旅館清風荘。同じ場所に同じ名前の宿が2件。まぎらわしいわ!!心を落ち着けて来た道を戻り駅の反対側に向かいます。イライラしてもしょうがない、南国なのだから。こちらが予約したグランドホテル清風荘。
グランドホテル清風荘【公式HP】JR&西鉄大牟田駅から最寄の徒歩5分!福岡県大牟田市のビジネスホテル
このホテルは設備が古めかしい点で評価が分かれるところでして、実は次の日の打ち合わせに同行頂いた方も同じホテルに泊まっていらして彼に言わせるとダメだったそうです。私はそれはそれとして昭和の雰囲気漂う感じが南国の情緒とも合っていて悪くはないと感じました。夜は宿近くの中華屋さんでかた焼きそばを頂きました。
平日の早めの時間だったこともあり客は私ひとりだけでした。ひっそりとした店内でラジオのナイター中継が流れており、昔よく聴いていたラジオ中継というものをまだやっているのかという感慨と福岡県民のホークス愛を感じました。ホークスがしっかり地域に密着していることはここ以外でも感じる場面があり、九州のスポーツ観戦需要をしっかり取り込んでいて皆さんを満足させている感じはしました。九州の中だけでしっかり回っているというか、大谷翔平を見る必要がないというか。そこらへんは我らが福島ファイヤーボンズも見習う必要があると感じました。
次の日は朝から現場です。新設の倉庫の出入り口に弊社の方向判別センサーが3台設置されており、誤動作してしまうとのことでした。
周囲の環境から誤動作の原因はセンサーの距離設定と取り付け位置によるものだということが早めにわかりました。3台のうち1台はプログラムを変える必要があり、そのために持参したPCを準備していたら、PCとセンサをつなぐためのUSBケーブルがなーい!やばい忘れてしまったー! 何かを忘れている感じはしていたのですが重要なものでした。落ち着いてお客さんに説明をして、近くのダイソーで探してきて頂けることになりました。無事、ケーブルがありなんとか事なきを得ましたが、今回の出張での大きなミスでした。反省。。。原因が早めにわかったので3台とも予定より早くに調整が完了し昼ごはん前に終えることができました。昼食後、博多方面に舞い戻りこちらのホテルで一泊。
次の日はホテル近くにあるお寺に父方の先祖のお墓があるので、お参りに行って参りました。お線香、ライター、お花、お供え物を購入して寺に向かう途中、お墓参り向けのお花屋さんに榊がおいてあったのでこれも買わねばと思い、店のおばさんに話しかけたら「墓参りは柴じゃぞ」と教えて頂きました。榊のとなりに置いてあった形の似た柴をとって買ってあったお花を一緒にまとめて束ねて頂きました。ありがとう、おばさん。無事、お墓参りも済み、最後の目的地、糸島に向かいます。
糸島は最近よく見聞きする場所でして、住みやすいとか移住が流行っているとかいう話を聞きます。せっかくなので一度は行ってみようということで博多から30分ほど電車にゆられて到着しました。今回は荷物がそれなりにあったので駅近のゲストハウスに泊まりました。まだ昼過ぎでしたので、レンタサイクルを借りて海に向かいます。
この日は37℃くらいあり大変な日差しだったのですが、しっかり水分補給しつつ走り続けていると時折涼しい風が流れてきて気持ちよかったです。
浜辺でのんびりしました。
給水所もところどころにあり、ゆっくりできます。
畑もしっかりやってます。シソかしら。
宿への帰り道に見覚えのあるセンサーが!
河川の水位計なのですがこちら1セット100万円+設置費用がかかるのでまだ普及が進んでいません。今、弊社でこれに代わる超音波式の水位計を作っていますのでご期待下さいませ!!
夜は宿で紹介された近くの居酒屋「ゆづ」へ。くわ焼きという名物を頂きました。
一人でビールと焼酎を飲んでいたのですが、途中からとなりに座っていたおじさま、おばさまと仲良くなり一緒に飲むことになりました。ハイボールをたくさん飲ませて頂いたり、エイのひれのから揚げなどの珍味を頂いたりしまして大変愉快に過ごすことができました。地元の方と飲むのは最高ですね。九州の人は温かい!もともとお酒は強くないので、次の日はひどい二日酔いになったことは言うまでもありません。糸島はまだまだ見れていない場所があるので、チャンスがあればまた訪れたいです。
今回の出張を通してたまに休みも兼ねて遠出してみるのも良いと感じました。2,3カ月に1回はどこか遠くへ2,3泊するのは良いかもしれません。ただし3泊を過ぎると手を動かして何かを作りたくなってくるので何だかなあと思いますし、郡山に帰ってきたら帰ってきたでここが落ち着く感覚もあるので、自分が心地よいと思う感覚を大事にしてこれからの働き方を探していけたらと思います。